泥中より咲く蓮華
浄土真宗の信心は、よく「泥中より咲く蓮華」にたとえられます。
ここよりファミリーの、
雫さんのコラムタイトル
にもなっている言葉ですが、
「泥」とは、自らの煩悩に翻弄された己れの姿を表しています。
自分のおもいどおりにならないと腹が立ったり愚痴がでたり、
また自分こそが正しいと思い込み、おごりやたかぶりの心が沸き上がります。
己れに執着し、益々苦しみの淵へと落ちてゆきます。
また家庭にあっては、親子の断絶や嫁姑のいさかい、
会話のない夫婦生活などの苦しみの種が絶えることがありません。
社会では、政治と企業の癒着や戦争による難民の流出など、不正の混乱が続いています。
自らの内も外も、我執(煩悩)にとらわれ、
解決することができない苦悩が地獄のごとく渦巻いています。
煩悩を越えようとしながらも、煩悩に囚われていく・・・。
仏の教えに会うとは、最も汚れはてた泥(煩悩)の中より、
一点の汚れもない真実の蓮華が咲くのです。
「泥中より咲く蓮華」とは、
煩悩を正しく見つめる眼差しでもあり、
また「泥」がなかったら「蓮華」は咲きません。
極悪非道の罪を犯したインドの阿闍世王は、
仏の教えに出会えた喜びを
「悪臭を放つ木から、突然よい香りを放つ枝が生えたようだ。」とのべています。
煩悩を超えた仏の教えとは、どのようなものなのでしょうか。
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